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国重要文化財の新指定及び追加指定の答申について

印刷 文字を大きくして印刷 ページ番号:0230147 更新日:2025年3月21日更新

国重要文化財の新指定及び追加指定の答申について

 令和7年(2025年)3月21日(金曜日)に開催された国の文化審議会(会長 島谷弘幸)で、国宝(美術工芸品)の新指定4件、重要文化財(美術工芸品)の新指定42件、その他(国宝・重要文化財の追加等)について文部科学大臣に答申されました。
 県内では、「白地鉄絵鳥文壺(熊本市所在)」及び「木造釈迦如来坐像、木造二天王立像(あさぎり町所在)」の新指定並びに「細川家文書(熊本市所在)」の追加指定について答申されました。

1.新指定「白地鉄絵鳥文壺(しろじてつえちょうもんつぼ)」(熊本市所在)

(1)指定名称及び員数

白地鉄絵鳥文壺        1口
 附(つけたり)(※)銅銭   1点
 熊本県祇󠄀園遺跡出土  

※附:建造物や美術工芸品等を重要文化財や都道府県文化財等に指定する際に、文化財本体に関連する物品や資料等を本体と併せて文化財指定すること。

(2)文化財の概要(文化庁報道資料より)

 祇󠄀園遺跡(阿蘇郡南阿蘇村)は、阿蘇神社の大宮司(だいぐうじ)職を代々受け継いだ阿蘇氏の居館跡で、12世紀から14世紀に営まれた。阿蘇氏はのちに拠点を南阿蘇から外輪山南方へ移し、浜御所(はまのごしょ)(上益城郡山都町)で最盛期を迎える。
 白地鉄絵鳥文壺は、平成7年の発掘調査で礎石(そせき)建物基壇下の土坑内からほぼ完形で出土した。白地の化粧土(けしょうど)の上に鉄釉(てつゆう)で窓を設け、鳥や草等の文様を大胆な筆致で描く。本品は、中国河北省磁県(じけん)を中心に盛行した磁州窯(じしゅうよう)系の製品の特長をよく示すとともに、整った形態に透明釉の仕上がりも良く、工芸品としても優品である。さらには、破損した箇所を漆継ぎで修復している点も興味深く、壺内面に残る緑青(ろくしょう)は、銭貨を複数枚入れて埋納した状況を伝える。
 本品は、鎌倉時代における輸入陶磁器の中でも数少ない磁州窯系鉄絵壺の優品で、伝世品以外で完形で出土した例はほかにない。それが伝来し修復されながら礎石建物の地鎮具(じちんぐ)として埋納された状況も特筆され、その学術的価値は高い。
白地鉄絵鳥文壺(熊本市所在)

2.新指定「木造釈迦如来坐像、木造二天王立像(もくぞうしゃかにょらいざぞう、もくぞうにてんのうりゅうぞう」(あさぎり町所在)

(1)指定名称及び員数

木造釈迦如来坐像     1軀(く)
木造二天王立像      2軀
 内一軀の像内に仁平二年四月六日、藤原家実、良峯氏等の銘がある
 附 木造騎獅文殊菩薩騎象普賢菩薩像 2軀
   文殊菩薩像内に嘉元二年十二月四日の銘がある

(2)文化財の概要(文化庁報道資料より)

 球磨地域の在地領主須恵(すえ)氏ゆかりの寺院・平等寺の跡に建つ阿蘇釈迦堂に伝来した等身の釈迦如来像を中心とする群像。二天王像は平成27年指定の同町・勝福寺跡荒茂毘沙門堂(あらもびしゃもんどう)所在 二天王・毘沙門天像と共通する特徴的な細部形式を有しているが、荒茂毘沙門堂像より中央風の作柄を示す。近年、二天王の1軀の像内に製作年に当たる仁平(にんぺい)2年(1152年)の年紀と願主(がんしゅ)とみられる須恵氏の名(藤原家実(いえざね))、やはり当地の有力領主である平河氏とみられる名(良峯(よしみね)氏)が確認された。当地における基準作例であり、中央様式が地方に伝播する様子がうかがえる。
 なお嘉元(かげん)2年(1304年)の補作である両脇侍(きょうじ)菩薩像を附指定とする。
阿蘇釈迦堂

3.追加指定「細川家文書(ほそかわけもんじょ)」(熊本市所在)

(1)指定名称及び員数

細川家文書(9612通)
 103巻、332冊、59帖、25幅、6980通、19鋪、6綴、90枚

(2)文化財の概要(文化庁報道資料より)

 平成25年(2013年)6月に国重要文化財に指定された「細川家文書(266通)」の追加指定。

公開について

 各文化財の公開については、未定です。